『主役は女』
物語前半を観て、オクタヴィアヌスの母であるAtia(アティア)が好きなら後半も大いに満足がいくでしょう。もし、Atiaが嫌いなら、ROMAの後半は最悪に後味の悪い想いしかしないと思います。なぜなら、ROME後半はAtia当人のみならず、Atia的なものがすべてを占めていく。まさにそれがこのROMEが追求したものと言ってもいい。
本来、物語の身近な主役であるPulloとLucius Vorenusがどんどん悪の道に手を染め、衝撃的な展開を繰り返していくのもROMEを救いのないものにしている原因。でも、彼らは入念に歴史考証した当時のRomeの一市民として溶け込み、当時の権力と関わっているからこそ、あんな風になってしまう。彼らは当時のRomeに生きている。
ありがちな糾弾ものや自虐史観としてではなく、歴史の汚い部分に真っ正面から取り組み、それを魅力たっぷりに描ききったこのROMEはこれまでのどんな歴史大作映画や大河ドラマも超えた。すばらしき大人のドラマに乾杯!